腸管出血性大腸菌が、人類を襲っています。O157が初めて原因菌として特定された食中毒は、1982年の米国でのハンバーガーでした。1984年に大阪府でO157による下痢症、東京都でO145による集団下痢症が発生し、1990年に埼玉県浦和市(現・さいたま市)の私立「しらさぎ幼稚園」で死者2名、有症者268名にのぼる井戸水によるO157の集団感染が発生しました。1996年に岡山県邑久郡邑久町(現・瀬戸内市)でO157により死者2名、有症者468名の集団下痢症が発生し、その後、岡山県新見市、広島県、岐阜県(おかかサラダが原因)、神奈川県三浦市(牛レバーが原因)などでも発生し、同年、大阪府堺市の学校給食による学童の集団感染が発生し、患者数7996名、死者3名に至りました。原因食材としてカイワレ大根が疑われましたが真実は闇の中です。2006年には米国でホウレン草によるO157の食中毒で1名が死亡しました。2011年4/21以降、焼肉レストラン「焼肉酒家えびす」の生ユッケで、O111とO157により集団食中毒で4名がお亡くなりになったことは記憶に新しいです。
病原性大腸菌の1グループである腸管出血性大腸菌(EHEC:enterohaemorrhagic E. coli)が産生し菌体外に分泌する毒素タンパク質(外毒素)がベロ毒素(verotoxin)です。一部の赤痢菌(志賀赤痢菌、S. dysenteria 1)が産生する志賀毒素と同一のものであり、志賀様毒素(shiga-like toxin)ともよばれます。出血性の下痢や、溶血性尿毒症症候群(HUS)、血栓性血小板減少性紫斑病(TTP)、急性脳症などのさまざまな病態の直接の原因となる病原因子です。腸管出血性大腸菌のベロ毒素と赤痢菌の志賀毒素は、どちらもこれらの菌の染色体上に組み込まれたファージ上の遺伝子にコードされていることから、腸管出血性大腸菌と赤痢菌との間でファージを介して伝達された可能性が高いと考えられています。ということは、ベロ毒素は全ての大腸菌に伝達される可能性もあるということです(分かりやすく説明すると、赤痢菌がもっていたベロ毒素という武器の設計図を、多くの大腸菌ももつようになったということです。北朝鮮の核が、イランやシリアに拡散していったのと似ています)。ベロ毒素は腸管上皮細胞に作用して出血性の下痢を起こすだけでなく、その一部は血液中に吸収されて全身に移行します。ベロ毒素の受容体は、特に内皮系の細胞に多く、これらの細胞が多い腎臓にベロ毒素が作用すると、溶血性尿毒症症候群(HUS)を起こす原因になり、生命に関わります。但し、ベロ毒素などの外毒素はタンパク質のために抗原性を持っているから、人体に侵入すると抗毒素と呼ばれる抗体が作ら、個人により感染性の差が出てきます。
大腸菌はその名のとおり大腸に生息している菌で、糞便を培養すると検出されるのは当然です。しかし1945年にイギリスの病院で集団発生した乳児の感染性腸炎から検出された大腸菌を原因菌と考えるべきだとブレイ(Bray)が唱え、この大腸菌を腸管病原性大腸菌と名づけました。大腸菌の死菌をウサギに注射すると、菌体に対する抗体と鞭毛に対する抗体が出来ます。大腸菌の菌体の抗原性(O)と鞭毛の抗原性(H)により腸管病原性大腸菌が分類出来ます。腸管出血性かつベロ毒素を産生することのある大腸菌のO抗原としては、O1、O2、O18、O26、O103、O104、O111、O114、O115、O118、O119、O121、O128、O143、O145、O157、O165などがあり、そのうち、O157によるものが全体の約80%を占めます。加熱の不十分な食材から感染し、100個程度という極めて少数の菌で発症し感染症や食中毒を起こします。 そのため感染者の便から容易に二次感染が起きます。もともと牛などの糞便などから検出され、牛肉に付着する可能性が高いのですが、牛糞などを肥料に使う野菜にも付着する可能性があります。なお、牛に感染しても無症状です。一般的に牛の糞便でみつかる細菌の菌株は、通常、汚染された食物や水や動物との接触によって移動し、加熱が不十分な牛肉や、ビーフバーガー、(低温殺菌でない)牛乳、ヨーグルト、肉のパイ、チーズ、ドライ・サラミ、生野菜、搾ったリンゴ・ジュースなどの汚染食品を食べることによって感染します。さらに、肉の加工者や農場や飼育者の間でも、感染が散発しています。川や池や湖などの汚染された水でのスイミングや除菌されていない飲料水による感染も発生したことがあります。感染予防として、手洗い(普通の石鹸より、理想的には暖かい水の液体石鹸を使用するのが良い)、トイレの清潔(掃除には手袋を使用し、フラッシュ・ハンドル、便座、便器の表面、ドアのハンドルなどを少なくとも1日1回拭く)、タオルなどを共有しない、などが重要です。世界保健機関(WHO)は一般的な大腸菌予防策として「少なくとも食材の中心の温度が70℃に達するまで調理するように」と勧めています。
ドイツで2011/6/5までに19名の死者を出した腸管出血性大腸菌O104の感染経路として当初疑われていたのは、以前、スペイン南部のアルメリア(Almeria)とマラガ(Malaga)の2件のキュウリ農家でした。どちらも封鎖され、畑の土、水、肥料が調査されましたが、2件とも問題がないと判明し、スペインのキュウリが感染源でないことが分かりました。そして6/5にイツ北西部ニーダーザクセン州の農業相が明らかにしたところ、ニーダーザクセン州ユルツェン市近郊の企業が栽培した「豆もやし」から大量の大腸菌が検出されました。この「豆もやし」はドイツ北部の5つの州に出荷されましたが、商品はすでに回収され、農場も閉鎖されました。州政府は「豆もやし」を控えるよう呼びかけています。ドイツから始まった腸管出血性大腸菌O104感染により、6/5時点でO104の患者が出た国はドイツ(2001名、6/6には2263名)、スウェーデン(46名)、デンマーク(18名)、イギリス(11名)、フランス(10名)、オランダ(8名)、スイス(3名)、オーストリア(2名)、ノルウェー(1名)、ポーランド(1名)、チェコ(1名)、スペイン(1名)の欧州12ヶ国に加え米国(2名)に広がり、大半が、溶血性尿毒症症候群(HUS)を発症しました。死者もドイツ人18名(6/6には21名)+ドイツへ旅行したスウェーデン人1名に達しましたが、ほとんどがドイツ北部を最近訪れた人だということです。ロシアが欧州連合(EU)からの生野菜輸入をストップするなど、貿易問題にも発展しています。
WHOによると、今回のドイツ発のO104は、これまで見つかっていない強毒の新種である可能性が高いということです。これまでの調査で、今回のO104は毒性と感染力が強い、これまでに知られていないタイプだということです。この病原菌の遺伝子を分析していた中国広東省深圳(しんせん)市にある研究所は、同菌が一部の抗生物質に対して耐性がある遺伝子を備え、極めて毒性が強いことが分かったと明らかにしました。同研究所の科学者は「この大腸菌は高い伝染性と毒性を持つ新種の細菌だ」と述べました。さらに、米疾病対策センター(CDC)のロバート・トークス(Robert Tauxe)博士は、同菌がこれまでで最も致死性が高いものであるとの見方を示しました。トークス博士は、同菌がどのようにして強い耐性を持ち得たのかはまだ分かっていないとし、抗生物質が効くという証拠はないと語りました。なお、トークス博士は2008年にトマトに関連したサルモネラ感染報告の増加なども指摘しています。
我が国でも2011年4月の「焼肉酒家えびす」の生ユッケ騒動以降も、6/2には焼き肉チェーン店「牛角 高岡店」(富山県高岡市)で食事をした客20名が下痢などの食中毒症状を訴え、うち15名から腸管出血性大腸菌O157が検出されました。重症者はいませんが、客は18~19歳の学生らのグループで、5/6にカルビやホルモンといった焼き肉のほか野菜サラダを食べ、5/7~5/14にかけて下痢などの症状を訴えました。症状がなかった6人からもO157が検出され、6/18に立ち入り検査しても菌は見つかりませんでした。焼く前の肉に触れた箸で食事をしたことなどが原因とみられています。富山県は6/2から3日間、同店を営業停止処分としました。「焼肉酒家えびす」の食中毒事件を受け、牛角は5/5以降、ユッケなど生肉の提供をやめていました。牛角チェーンを運営するレインズインターナショナル(東京都)は豪州産牛のハラミが原因の可能性が高いと判断し、委託先の加工先工場を別工場に切り替えました。
さらに6/5には千葉県旭市でも、保育所に通う1歳女児が下痢などの症状を示し、検査でこの女児を含む15名から腸管出血性大腸菌O145を検出されました。重症者はなく、いずれも回復に向かっています。女児を除く14名は同じ保育園の1~2歳の9名と、女児の50歳代の祖母と5歳の兄、保育所の30~60歳代の女性職員3名です。女児は5/27に発症し、医療機関の検査で5/31にO145を検出したため、ほかの子供らも検査していました。千葉県内では昨年、O157など腸管出血性大腸菌への感染が124件あり、うち4件がO145でした。
目に見えない敵に、我々は怯えなければなりません。保清に留意しましょう。